大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 72
                     小林和之
直線上に配置


言葉 Word 2


 「何でもいいから書いてみなさい」

景代先生は、何度もそうおっしゃられていた。

教室へ通いはじめてしばらくは、いつもそうおっしゃられていた気がする。



 僕は耳が痛かった。

何度か話していると思うが、
教室へ通いはじめた頃の僕は、
誰ともしゃべらず、
世を恨んだような目をして、
ひとり押し黙っていたため、
教室のみなさんにとって、
さぞかし気味の悪い存在だったろうと思う。


 今思えば、

「ぜったい語るものか」

と僕は、思っていたのかもしれない。


いや、たぶんそうだろう。
天邪鬼な自分への反省とともに、
感謝の思いが胸に広がる。


景代先生や指導員さんたちは、
甘えとも言える環境を、
僕に与えてくださっていたのだと思う。

なぜなら、
「ぜったいに語るものか」
という姿勢は、
聞こうとする人がいて、
はじめて成り立つものだからだ。
 

 僕は、文章を書くことが出来なかった。


それは「勉強ができない」
という意味もさることながら、

言葉を用いて語ることへの
妙な誠実さ  ゆえであったと思う。



つまり
「書く」ということは、
「ほんとうのことを言わないといけない」
「どうしよう、恥ずかしいから知られたくない・・・」
という感情につながっていた。


 以前にも書いたかも知れないが、
そうして書いた僕のはじめてのレポートは、
見出しとなる左側が真っ白で、
何も書かれていないものだった。


景代先生は、
それを赤ペンで
「左側が真っ白です。とてもシンボリックです。右脳と左脳」

と、レポートの上に書き添えてくださった。


けれどそれ以上は、指摘しない。

自分で考え、気づかせるためだ。

それでも素直に語ったレポートには、
様々なアドバイスも書かれていた。


 その日のレッスン中に、
こうおっしゃられていたのを憶えている。


「ほんとうは、純粋でいいものを持っているのに、
だめだ、だめだと周りから言われて
変わっていってしまう・・・」



 それは僕のことを言ったのだった。

語尾の方が正確ではなく、
その後どういうお話につないでいったのかは憶えていないが、

誰かが、人前で、僕のことを、それとなく良く語った、

ということが、こんなにも人のこころに何ものかを与えるのか、

ということを僕は知ることになる。

帰りの電車のなかで、
何度も何度も景代先生の語った言葉が、
僕のこころに想起されていた。



「そうだったのか・・・」

というあたたかな、満たされていく思いとともに。



 「誰にも見せなくてもいいから、とにかく書き出してみる」

景代先生は、そうおっしゃられることもあった。

教室へ来て5、6年は、経った頃だった。


僕は、だんだん素直になって来ていたので、
景代先生の言う通り、大学ノートに何冊も何冊も書き続けた。

ほんとうに何冊も何冊も、
ただ感情をぶつけるように書き続けていたら、
時々、ある種の高まりとともに、
こころが洗われるような感覚になることがあった。

すっきりして、楽しくなったり、時に涙がこぼれたりする。

言葉とこころがシンクロしていくのだ。


こころが言葉を生み出すのか、
言葉がこころを変容させるのか、
相互作用が起こるようだった。

書き綴る言葉の高まりとともに、
こころにある結晶のようなものが、
音を立てて砕け、浄化されていく。


金色の縁どりのされた美しいお経のようなものが現われ、
昇華されていく夢は、
この頃に見たものだろう。



 「最近、お顔がくっきりして来たみたいに見えます」

指導員さんのおひとりが、
レッスンの途中、僕の顔を見てそうおっしゃられたこともあった。


 「今までぐちゃぐちゃしていたみたいですね?」

と、僕も冗談めかして応える。



 今までよくわからず迷い道に迷っている状態にあっても、
言葉を綴ることで整理されて、
問題や考えがはっきりとして来る。

 言葉は、発してみなければ始まらない。

わからないんだ。

試してみなければ。

やってみてはじめて気づくのと同じだ。

人は言葉の響きのなかを生きて、
有機的につながっている。

いや、つながることが出来る。

その試みを、
勇気を持って、続けていこうと思う。
 


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※追記: 内藤 景代 (Naito Akiyo)記

“言葉”の[成りたち]や、
こころ(心)にとっての“言葉”の必要性など、
“言葉”の本質(エッセンス)という[原点]をつかみ、
ご自分の体験をまじえた“言葉”にしてらっしゃる。
とても、すばらしいと想います。

今月の5月[内藤景代の瞑想フォト・エッセイ]にかいた
『イカロスの失墜』のように、 翼を失って海に墜落した和之さん。

そして、「ぜったいに語るものか」という姿勢を貫き、5年以上も
NAYヨガスクールの東新宿教室で、海洋生物のように寝ころんでいた。

そして、『海からうまれた青い人』を“もの“がたりとしてかくようになった。
“言葉”が社会を歩く「足」にもなっていきましたね。
今は、ひととつながれる「よき道具」になっているようです。

“言葉”に対する「誠実さ」が、和之さんのよさだと想います。
だから、長い時間が必要だったのでしょう。
大きなつぼみ(蕾)がゆっくりと花開いていくように。
「時を味方に」なさいましたね。
また、別の扉や窓も、ゆっくりと開いていってください。
“言葉”を味方にして。合掌


[瞑想フォト・エッセイ]   内藤 景代(NAYヨガスクール主宰)
[瞑想フォト・エッセイ]  内藤 景代(NAYヨガスクール主宰)

http://www.bigme.jp/kosin-list.htm

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