NAYヨガスクール体験記 70 小林和之 |
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こころのなかに餓鬼(がき)が いる。
そんなものが僕の中に眠っていたとは。 それは、ろうそくの火が消えた後の暗闇に、
浮かび上がるようにあらわれた。 気づかぬだけで、 ずっとそこにいたのだ。 僕のこころのなかにいる 貪り食うもの。 片鱗を感じながらも それに気づけずに、 いいや、 見ようとせずにいた魔の物。 次いで、
この間、恨み、憎み、憤っていた人たちの姿が、 デフォルメされて、醜い餓鬼の姿に変わって見えた。 驚いたことにその姿は、
容姿は幾分違えども、 暗闇に浮かび上がる 僕のこころに棲む餓鬼と同じ物であった。 貪り食うものが
こころにいる。 それは、あまり人のことはどうでもいい。 貪り食えればそれでいい。 満たされることなく、 いつまでも どこまでも 自分本位に 求め続ける。 そうした餓鬼が、僕のこころのなかにいる。 そうした僕のこころに棲む餓鬼が、
似たような餓鬼を引き寄せたのだ。 「おまえは僕だ」
暗闇のなかいる
そのものたちの姿を見つめていたら、 現実の状況が変わっていった。 物事が、好転しはじめたのだ。 あんなに囚われていた 憎しみへの想起も、かなり消えた。 状況が好転したから
こころが変化したのか、 それとも、 こころが変容したから 状況が好転したのか、 どちらなのかわからない。 たぶんどちらもそうで、 こころの有り様と現実の環境の変化は、 つがいのようなものなのだろう。 恨み、つらみ、憤り、
時として支配される それら負の感情の渦巻きが、 気づきの作用によって、 潮流が変わり、 未知なる流れとなって、 小舟を運んでいく。 いったい どこへ運んでいくのだろう?
期待してもいいものだろうか? きっといい。 いや、この際、どちらでもいい。 何度でもチャレンジして、 どこへ行こうとしているのか分かるまで、 次なる気づきへ導かれるまで、 悪あがきをすればいい。 餓鬼のこころも、
人のために生きようとする仏のこころも、 僕のこころにある。 知ることが必要だった。 こころには、どちらの自分も棲んでいることを。 それらをバランスよくコントロールし、 自他ともに有益に作用させることが出来うるならば、 自分にも他人のなかにも 餓鬼や仏の姿を見るだろう。
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