大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 18        小林和之
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マンダラ発想-3      「生の実験」

僕は、ある頃からふたつの人生を生きることを選んだ気がする。

東京・新宿にあるNAYヨガスクールの教室へ行き、
毎週、景代先生のお話しの聞ける《木曜の夜クラス》へ通いながら、
その過程のどこかで、
「ふたつの人生を同時に生きよう」
と思ったのだ。

それは意識的で明瞭な決断ではなく、
また、りっぱな考えや志があって思ったわけでもない。

ただ 内側から突き動かされるように そう思ったのだ。

「人生を2倍に生きる」と。

それは教室へ通い始めて6,7年目。

20代の後半へと差し掛かる頃だったと思う。

理由はよくわからなかった。

けれどこの「わけのわからない志」の

エネルギーは強く、

僕はここから伸び上がるように、

さまざまな体験にチャレンジし、

意識化のドラマを

積極的に歩んで行くようになったと思う。


さまざまな困難、
そして気の重くなるような停滞もあったが、
生の実験
というこの流れは、
今もまだ脈々と続いている。


今、僕の家には、
テレビもネットもなく、
電話も新聞もない。
ときどきラジオが鳴るのみだが、
退屈するということはない。

もちろん普通の人間なので
嫌なことがあって
落ち込むこともしょっちゅうだけれども、

最終的には
生の実験へ
と向かう期待の方が勝るため、
自然に、
(もしくは動物的に)
比較的早い修復を遂げることになる。



教室で
いったい僕は何を学び、
どのような変容があったのだろう? 

以前の体験記で、
それは景代先生から教わった
マンダラ発想」だろう、と語った。 


イメージや思想、
波動は
バランスをとるようにできている。

人間の全体性において
その全容を知るべく、

人のこころというものは、
宇宙の理に従い、
調和を図りながら
成長していくのだろう。

であるから
偏ったイメージや
こころのあり方に固執していれば、
必ず無意識の
揺り返しが起こる。

それで僕は いったいどれだけ
痛い目にあっただろうか。

今もまだ 油断は大敵だが、
この法則を知っていたとしても
教室で 景代先生から、
道しるべとなる言葉の布石、
道案内を頂けなければ
きっと 
迷子になっていたに違いない。

 

けれど
あっちでぶつかり、
こっちでごっつん
このタンコブだらけの過程の中から、
そのうち僕は、
僕なりに学習し、

ふたつの人生を生きることを

選んだのだと思う。

ひとつは、
こころ(自然界)の声を耳にし、
意識に捉え、
対話(それはほぼ手探りのようなものだが)をする人生。

もうひとつは、
現実の社会の中で、
人々とこころを通わせ、
与え、
与えられながら
こころを伝え、
響かせ合う人生。

どちらも楽しく、
どちらも難しい。

農耕民族の自分と
狩猟民族の自分という

先祖より引き継がれた血脈。

弥生と縄文。

このふたつの血の融合と調和を
これからのテーマにしたいと思っている。


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 ※追記「生の実験」


『BIG ME』〜こころの宇宙の座標軸〜内藤景代・著


 P
art2 デスマッチから花と咲く

マンダラ発想の章 などに

「生の実験」について詳述しています。こちらへ


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