NAYヨガスクール体験記 117 小林和之 |
死せる王女のためのパヴァーヌ |
出帆から丸5年が経った。 事業の規模も少しづつ大きくなり、 ひとりで本業の傍に行う というレベルではなくなってきているのだけれど、 一緒に進めている方々が有能な人たちばかりなので、 たいした労力もなく、楽しみながら進められている。 余った時間を利用して、 または気分転換に、 といった ほぼ思いつきで動いているペースでいながら、 いつの間にか 偶然が巡り合わせ、 うまく回っていくのが不思議でならない。 社会的なステージが高く、 いわゆる成功している方々とも 自然に仕事を共にするようになっている。 庶民的な僕からすると ビジネスモデルの発想や考えの規模が大きいため 「…すごいっすねー!」 を連発するしかないのだが、 いったい彼らは、 そんな僕から 何を学ぼうとしているのだろう? うれしく思う反面、 ほんとかいな? とも思う。 けれど 思い当たることが一つある。 景代先生から教わった 「マンダラ発想」だ。 ほんとうのことを言うと、 実は、僕もまだうまく説明までは、できないのだが、 「対立するものを結び付け、葛藤を繰り返す」 この発想法が、 成功や人を惹きつける魅力の要因になっているのは、 間違いないだろうと思っている。 そして冥想し、 胸の前に手を合わせ、判断する。 自我が邪魔をする。 無意識下の記憶も。 けれどそれでいい。 迷っている 暇はない。 失敗もまた、 永遠に続くビルドゥングスロマンのひとつだから。 幸せなのは、 仕事がいくつもあるため、 関わる人々の境遇も様々にあり、 下町にも 山手にも住んでいるみたいで楽しいことだ。 仕事をするって、 この現象界に自分を響かせ、 人と響き合うことだから。 教室へ通い始めた頃の僕は、 元型イメージ「永遠の少年」の全盛期だったため、 社会的には、まったくの不能で、 とにかく働くのがイヤだった。 「仕事」という言葉を聞くだけで、 ドキンとして 「触れてくれるな、触れてくれるな…」と 劣等感情の折り混ざった嫌悪感に苛まれた。 そして サラリーマンにだけは なりたくないと思っていた。 「したくもないことを 人の命令に従って、 うんざりしながら やっていくのなんてまっぴらごめんです」 という考えが、毛穴から吹き出て、 止められないような人だった。 負けは 明らかだったが、 反抗する他に 手だてはなく、 (反抗される方は、たまったもんじゃないが…) 僕は といえば、 注射を嫌がる往生際の悪い子どものように 凶暴化していたと思う。 その頃と比べれば、 今は、随分と余裕ができた。 実は、働くのが嫌だったのではなく、 働かされるのが 嫌だったのだと 気づけた。 社会と個人を マンダラ発想でスパークさせ、 調和を取れれば、 自分の意思を 自由に響かせ、 次々と繋がりを持った響きあいの世界が開かれていく。 それが マンダラ発想だ。 「永遠の少年」特有の弱点である「働く」ことについて、 僕は、景代先生に 直接 指摘され、言われた覚えがない。 いや、きっと何かは言われたに違いないのだが、 記憶には、全く残っていない。 今、思えば、不思議に思う。 「今ではない、いつか、ここではない、どこか、で、 僕は、ほんとうの自分になれる」 と思い込み、 明らかに妄想の世界にあり、 どこをどう見ても 現実逃避の典型的な諸症状を持った 「永遠の少年」であるというのに。 景代先生は、「働く」という その部分には触れない。 「この人は頭が悪そうだから、きっと仕事はできないだろう」 と思ったのだろうか? それとも あまりにも 病状が深刻なため、 その命題は、後回しにしよう、 と思ったからだろうか? いや、そもそも 不必要な干渉は、しなかっただけなのかもしれない。 けれど 僕はある日、就職した。 そのことを話すと 景代先生は、 笑顔で「5年は 続けた方がいいよ」 と おっしゃられた。 その仕事を もう 30年も続けている。 どんな人にも 向いている仕事 というものがあるのだな、 と 今なら思える。 そんなに 思い詰めることはない、と。 あの頃の自分に 言ってやりたい。 「僕には、生きる場所がない」 と思っていた頃は、 凶暴になるしかなかった。 サラリーマンになど なったら自分が、 (もしくは 僕のアニマ が)死んでしまう!) と 思い詰めるくらい 危機的な深刻さだった。 馬鹿なことを言っているように 聞こえるかも知れないが、 実は、命が かかっていたのだ。 誰にも 理解されない。 誰にも わからない。 孤独というものと 一緒だった。 凶暴といえば、 僕は NAYヨガスクールの東新宿の教室で、 この言葉を使ったことがあった。 あまり良いフレーズとも言えない 凶暴 という言葉を。 それは 僕の中の何かが 壊れ、 就職も決まり、 今までの自分の精算を 少しずつ、少しずつ ひとりで していた頃だった。 必要なこと以外では、どこの誰とも口を聞かず、 景代先生にだけ、 意味不明な手紙のようなレポートを送りつけ、 僕は、いっそう無口になっていた。 ラヴェルの「死せる王女のためのパヴァーヌ」 を繰り返し聴くような、悲しみの途中にあり、 同時に 身勝手な作業をしていることも知っていた。 どうして、そのような場面設定になっていたかは、思い出せない。 レッスン中、女性の指導員さんと 教室に長く通う年配の男性の生徒さんと 僕との3人で話をしていた。 おそらく何かをテーマにして グループ ディスカッションをするような場面だったのだと思う。 きっと気のせいなのだが、 いつもの癖で、 僕は、何となく お二人に よく思われていない気がして、 何を思ったのか 「僕は、凶暴だった」 と繰り返し 語りはじめた。 過去形を使っていたので、 きっと、「今はそうではない」 と 言いたかったのかもしれない。 おふたりとも 優しく親切なので、 「随分と穏やかになったと思う」 「柔らかくなった」 と おっしゃってくださった。 そう、ほんとうに 僕は、ふてくされていて、 凶暴だったから。 それが 何ということもないのだが、 それで、やはり 僕の心には 「死せる王女のためのパヴァーヌ」 が 聞こえて来るのであった。 そんな お話し合いが終わり、 レッスンの終わりの冥想を始める時間になった。 前に お座りになった景代先生が、 先程のお話の内容を指導員さんから聞いたのか、 それとも 3人が話しているのを耳にしていたのか、 生徒さんたちへ向けての第一声で、唐突に 「感じやすい人ほど凶暴になります」 と言った。 いつもの よく通る声が、教室に響き渡った。 僕のことだ。 今、僕のことを言った。 教室の空間に 何かの音が 響いた。 「そうだったんだ」 と 僕は思った。 僕の心に座していた 抜け殻のような 凶暴な 少年の残像が、 景代先生の声(言葉の響き)で砕け、 音に変わった。 死んでしまったはずのアニマ、僕の魂。 「死せる王女のためのパヴァーヌ」は、 鳴り止み、終わりの音が、 はじまりの音に変わっていく。 チェロキー・インディアンにとって、 「愛している」 という言葉と 「理解する」 という言葉は、同一らしい。 僕は、その音を 今も大切にしている。 ☆~☆~☆-----------------------☆~☆~☆
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