大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 81
                     小林和之
直線上に配置

 空の色に似ている


 まだ開いていない意識の窓が開くことによって、
新たな価値観が、流れ込み、
再統合される。

その過程の中には当然
再統合へ向けた葛藤が生じるのだが、
興味のあることであるゆえ、
新鮮な驚きを持って、
ガブガブ水を飲むように吸収されて行く。

認知する世界の広がりとともに、
自分と感じる世界が広がって行く。

伸縮自在に、
その時々に、
様々な僕の視点を行き来しよう。
カメラのフォーカスのように、
その場所に適切な自分でいよう。
より豊かなこころの広がりを持てるように。

 組織人として働いている自分、
起業している自分、
家族といる自分、
自然の中に身を置く自分、
スーパーで買い物をする自分、
これからのこの国について考える自分、
調べ物をする自分。

何でもよいのだけれど、
源に、開拓し、挑戦する意思を持っていよう。

運命はない。
すべては未知なるもの。
これから起こることは、
僕と世界の新しい交わりであり、
新しい関係だ。

 ・・・とはいっても、
昔から何かにつけズッコケやすい性格なゆえ、
しっかり機を見て、
心して行きたい。

しかし、こう言いながら、
実際には、いつも見る前に跳び、
または、サメのように見境なく食い付いて、
ぐばぐばエラから肉片を吐き出しているみたいな展開が多いのだが。


 ちょうどあの日と同じ季節だからだろうか? 
ここのところ、よく思い出す風景がある。
それは、教室へ通いはじめて2、3ヶ月ほど経った頃のことだ。

僕は、東京都の外れ、東村山にある八国山の麓で、
西武線の線路を渡った向かいの少し小高い丘の上にいた。

 当時の僕は、
病的な永遠の少年で、不用意な精神世界への興味から、
今思えば統合失調症の症状としか思えない状態に陥っており、
いわゆる変な人であった。
同時に、
世を恨み、絶望もしていて、一歩間違えれば、
どうかなりそうな危険な人間でもあった。


 丘の上には、うっすらと白い靄がかった冬の空が広がっている。
ほんの少し街を見下ろすことが出来る場所。
小学校が近くにあり、昼休みや放課後には、
校庭で遊ぶ子どもたちの声も聞こえて来る。

 僕はその場所が好きだったのだろう。
家からさして近くもないその場所へ、ときどき出かけていたのだから。
周りには誰もいなかった。
誰の声もなく、僕だけしかいない。
それなのに、いつもと違い、
ひとりとは思っていない。

何か変わったかことがあったと言えば、
僕は、20歳になっていた。

もう子どもではなかった。
けれどそれだけが変わったことではなかった。

僕のこころは、どこかへ向かっており。行こうとしていた。
それはどこなのか? 
答えはどこにもない。

誰にも答えられぬこの思いを秘めて、
僕は丘の上にいた。
冷たい空気を吸い込み、
空を見上げた。
白いもやが切れ、
薄く青い空の中に、かすむような白い雲が弧を描いている。
雲はゆっくりと動いていて、
その刹那、僕は、不思議なことを思った。


「ああ・・、僕が、こんなに近くにいる」


 景代先生が、ここまで僕を引き戻してくれたのだ。
こんなに近くまで。
僕がいる所まで。

それによると、
ただの僕は、思いがけず透明なこころをしていて、
もう少しで、空に溶け込めそうなくらい、
空の色に似ているのだった。

春を秘めた木々、
冷たい空気の底から、
僕は空を見上げ、
ただ終わりにしようとする意志のみになり、
誰にも答えられぬ答えのために、
まだその先へ行こうとしている。

恐れるものなど、もう何もなかった。


☆~☆~☆-----------------------☆~☆~☆
*〜・〜・〜・〜*〜・〜・〜・〜*


※追記:
内藤 景代 (ないとう あきよ)記


【 ぼくは二十歳だった。

  それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと
        だれにも言わせまい。】

    ポール・ニザン 『アデン・アラビア』


二十歳だった頃を「いわゆる変な人」で
「絶望もしていて、一歩間違えれば、
 どうかなりそうな危険な人間でもあった。」
とご自分で、さらりといえるようになった、今の和之さん。

よくぞ、生きのびてきました…と、
敬意(リスペクト)をもってねぎらいたいです。

和之さんがご自分の生きてきた体験を“言葉”にすることで、
「普遍的な、こころの成長物語(ビルドゥンクス・ロマン)」
のお話にもなり、【二重(ダブル)イメージ】で
自分に引きよせて、励まされるかたもいることでしょう。

今月の[内藤景代の瞑想フォト・エッセイ]も冬から早春の
空と雲をたくさん掲載しました。
お気に召すと幸いです。

そのなかに、夕空に溶けていく太陽の写真をみると、
A・ランボー 『地獄の季節』 「永遠」
を想い出すかもしれませんね。

この詩については、以前、NAYヨガスクールの東新宿の
レッスンで、お話した記憶があります。


もう一度見つけ出したぞ、
  何を  永遠を。
     それは 海と溶け合う太陽だ


   A・ランボー 『地獄の季節』 「永遠」


2月は、ゴイサギ(五位鷺)の幼鳥、
ホシゴイ(星五位) の写真と
【成長物語(ビルドゥンクス・ロマン)】

についてもかいています。
わたし達・人間のこころ(心)の成長期、
青い春の時代にも呼応し響きあうようにも想います。

★★今日18.1.31は、 スーパームーンの満月で【皆既 月食】
1月は、スーパームーンの満月が2回あり、ブルームーンともいうそうです。

満月を食う「影(シャドー)」は、
わたし達・人間のいるこの地球の影。

ご自分の「影(シャドー)」に呑みこまれそうになり、
そこから帰還して、自分が【統合】された体験の“言葉”。
実感をともなって…わかります。

【「ああ・・、僕が、こんなに近くにいる」
 
 景代先生が、ここまで僕を引き戻してくれたのだ。
こんなに近くまで。
      僕がいる所まで。】

こういうお話は「ヘンに想われるといけない」ので、
あまり語られませんが、伝える必要はありますよね。
ひっそりと。必要なひとに。 ↓↓↓↓

詳しいお話は、『わたし探し・精神世界入門』 をどうぞ。↓↓

『わたし探し・精神世界入門』内藤景代・著

わたし探し・精神世界入門』 内藤景代・著 こちらへ



空から堕ちた天使は、人間になった…そのお話は、
『光の天使』をどうぞ。↓↓

光の天使』   堕ちた天使は〈人間〉になった
内藤景代・著 こちらへ


[内藤景代の瞑想フォト・エッセイ]

[瞑想フォト・エッセイ]  内藤 景代(NAYヨガスクール主宰)
http://www.bigme.jp/kosin-list.htm

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和之さん以外の
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