NAYヨガスクール体験記 74 小林和之 |
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僕に好意を寄せているようだった女子高生のふたりも はじめはいつものように静かな笑顔をしていたが、 もうこれ以上は耐えられない、 というように不審の目を向け、腹を抱えて帰っていった。 誰もが怪訝な、 えんにちに並ぶお面の無表情にも似た表情で 僕を見ていた頃、 ひとりだけ オシロイをした僕の顔を、 自然に受け入れる者がいた。 彼には僕の顔が見えるようだった。 彼は真っ昼間にサングラスをかけてよく訪れ、 薄くひげを生やし、 彫りの深い顔立ちをしていて、 サングラスを取ったその目は、 いかにも神経質そうと言うか、繊細そうで、 芸術系な人に思えた。 実際彼は音楽で生計を立てている人で、 年はよくわからない、 たぶん30位だったのではないかと思う。 病気で療養しているらしく、いつも薬臭かった。 彼はいったい僕のなかに何を見ていたのだろう? 彼は来るたびに 退廃的な青春のイメージ、 芸術について語り、 僕の容姿をほめていた。 思うに彼は、 僕に、自分にはない何か、 自分には与えられなかったか、 すでに失ってしまった 「若い憧れ」のような物を 投影していたのだと思う。 彼は芸術的な「憧れ」に渇望し、 そして自分には、 与えられなかったことに嘆いていた。 そんな こころの有り様が 手に取るようにわかる僕もまた、 ほんとうは同じ境遇にある人なのだが、 けれど不思議なことに 彼の前にいる僕はそうではないようだった。 すべてを与えられている人であり、 彼の求める憧れそのものの姿であった。 彼は白い化粧をした僕の顔を見て、 打ち明けるように 「君、俳優になったら?」 と言った。 彼だけは、 僕の取った冒険を、 新しいもの、 もしくは芸術に不可欠なセンスとして、 病んでいるとも言えるその感性で 読み取ったのだった。 彼が来店する時は、 いつも長話になるのだが、 「シャイニング」のビデオを手に取り、 「彼(ジャック・ニコルソンのこと)は, 少しおかしくなった役がいい、 気の狂った役をやらせると面白いんだ。 「カッコーの巣の上で」とかね」と、言ったり、 ジャン・リュック・ゴダールや ジム・ジャーミッシュといった 大衆受けする娯楽映画とはひと味違った アンダーグラウンドというか、そういった名作を好んでいた。 今なら、それが 「青春」と呼ばれるものだと はっきりわかる。 それら青春の作品には、 必ず、夜の匂いがあった。 地下世界の住人である 若者、浮浪者、詩人、犯罪者たち。 その主人公は、いつもどこかへ行こうとし どこへも行けない。 取り囲む夜から逃れようとした時、 主人公の誰もが 真昼の銃弾に撃たれるのだ。 「汚れた血」 「蜘蛛女のキス」 「未来世紀ブラジル」 彼に薦められた映画は どれも行くあてのない、 夜に迷う青春の匂いが 立ち込めているものばかりだった。 僕のお化粧時代は長くは続かず、 ひと月ほどで終焉を迎えることになった。 ある日、 いつものように出勤して、 静かなレジカウンターに座ると、 目の前に 丸い立て鏡が置いてあったのだ。 腫れ物に触るように 僕に接していた 隣で薬屋さんを営む若い店のオーナーさんが、 夫婦で相談した末、 レジに立て鏡を置くことにしたのだろう。 この作戦は成功で、 僕は鏡の中の パンダのようなまだら顔に アゼンとしてその場にそそり立ち、 我に返ったのだった。 19歳の僕の こころは、 何かが狂っていたのだろうか? 病んでいたのだろうか? 僕はその通りだと思っている。 けれども病んでいた19歳の僕は、 ある意味まったく正常で、 健康な心を持っていたのだと思う。 僕はそれを証明すべく、 あの頃の腐りかけた自己陶酔の夢を、 今度は修羅の言葉で、 蘇らせようと思う。 それにしてものどかな時代だった。 こんな僕でさえ、 レジにいることが許されていたのだ。 いや、人一倍親切なご夫婦だったのだろうと思う。 今、思えば 当時、唯一の友人とも言える彼とは、 その後、何度か、偶然会った。 同じ街に暮らしているとはいえ、 自分の転機となるその時々にばったり会い、 ほぼ彼の方が一方的に語り、 僕は静かにそれを受け止め、 別れていくのだった。 僕はと言えば、 すべてが崩れ、混乱のただ中にいる時、 その夜の通りで、 「今度大きな仕事を任されることになったんだよ、 きっと完成させる」 と、そんなことを、 いつもよりずっと興奮して語って、去っていったり、 ようやく、NAYヨガスクールの教室に辿り着き、 景代先生と出会い、 こころが安定しはじめたある時、 電車の中で偶然再会し、 「元気でいる? ・・・うん、君、俳優になるといいよ」 とまた、同じことを語ったり、 彼と僕は似ていた。 そして彼は、僕を助けてくれていたと、 そんな風に今は思う。 「日本人は村社会性が強いから、 多様な美しさがわかりづらく、 価値観が狭いのよ」 いつだか、顔のことで、 景代先生に相談とも言えぬ相談をした時、 あっさり、景代先生はそう応えられた。 その後、何年かの後に その気になったのか? 僕は、地場劇団ではあるが、 ほんとうに俳優になり、 舞台の上に立って、 数々の喜びを経験することになった。 顔のことなど、もう何も気にしては、いなかった。 最後に、僕の好きな言葉を伝えよう。 ムハマド・アリが、勝利の雄叫びとともに、いつも言う言葉だ。 「アイム・ア・ビューティ!!」
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