NAYヨガスクール体験記 68 小林和之 |
|
以前、上司との面談で
「おまえのことはよくわからない」 と言われたことがある。 そのときの対話のなかで、 「(自分は)自己肯定感が足らないのだと思う」 と言った。 すると上司は、首を振り、
「自己肯定感の足らない人間はおまえみたいではない」 といささか困ったような顔をして否定したため、 思わず笑ってしまった。 自分も言いながらその通りだと思ったからだ。 そのときは、少し申し訳なく思った。
相性も悪く、やりずらい上司ではあったけれど、 上司にとってもまた 「理解出来ない部下」 であったに違いない。 そう思うと無理もなく、 目の前にいる上司を 少し気の毒に思った。 そしてなおさら 「僕は、ほんとうは、自己肯定感が強いのかもしれない」 と思った。 ほんとうはどちらでもいい話なのだが。 《(中略)・・・
次は第三の目を胸へ降ろす、 「胸の冥想」をする。 魂の座への回帰だ。 胸に感じる暖かいもの、 溶かす力、 その波動を「愛」という。 「愛」は頭で考えても分からない。 「愛」は胸で感じるものであり、 実体のある力である。》 この本に限らず、
景代先生の本には、 「愛」について書かれているものが多い。 それもそのはずで、 景代先生は、 「胸にあるアナハタ・チャクラを中心としたヨガを行っていきたい」 と、正確ではないかもしれないが、 そのような意味のことを レッスン中に話されたことがあった。 「それが私の生の実験なのです」とも。 僕は、その言葉を印象深く憶えている。
腑に落ちたと言っていい。 景代先生のヨガというものに触れて、 学び、得たものたちのひとつひとつが、 この言葉によって腑に落ちた。 ・・・・というより、 そうだと思っていた。 それはこうした直接的な言葉だけでなく、 景代先生の著書や お話しのいたるところから聞こえ、 響いている。 「愛」というと、
何かこそばゆく思う人も多いと思うが、 そんなレベルの話をしているのではない。 「愛」というものは 本来オソロしい作用を持っている。 そう、小さな自我にとって、脅威となる作用をするのだ。 ・・・・間違えたかもしれない。 景代先生のヨガは、 「愛」の作用によって、 自我が緩んで開かれ、 感受性が高まり、 それゆえに 無意識に封印した 「愛」にまつわる問題が浮上してくるのだ。 それが自我にとって脅威となる。 人によっては、 その作用によって人生観が大きく崩れ、 変わってしまう。 「愛」の作用というものは それぐらい大きな力を持つ。 まさに実体のある力なのだ。 「もしかしたら今日、骨を折られるかもしれない」 と、そう思いながら通ったキックボクシングの道場よりも、 NAYヨガスクール(東新宿)教室の方が 数段オソロしい と思う時期もあった。 それは、 腕力や根性でどうにかなるようなものではない、 まるで違うところでの 葛藤なのだ。 「向き合えない!」 「・・・逃げよう!」 何度そう思っただろう。 柔らかなこころの内面を知り、 自分自身の弱く醜いこころと向き合うのは、 誰にとっても容易なことではない。 景代先生は、 それを強制するわけではなく、 自らの意思で そこへ向き合おうとする人にのみ、 導きとなる援助をしてくださっていた。 別の言い方をすれば、 そこへ迷い込んでしまった人のこころに、 寄り添っていた。
********************************************* |