大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 54
                     小林和之
直線上に配置

コンプレックス 3


いつだったか、職場の人ふたりと車で乗り合わせていたとき、
いじめの話題になった。

ずいぶん前だが、
ちょうどいじめによる自殺が
社会問題化されていた頃だ。

被害にあっていた中学生の少年の
自殺する少し前の様子を、
僕は、新聞で読み、知っていた。

目の焦点も合わず、
普通に話すことや
座っていることも出来ない状態だったといい、
フラフラと頭を揺らしながら授業を受けていたという。

・・・どれだけつらかったろう。
脳や自律神経系にまで影響を及ぼしていたのだ。

過度のストレスは、
記憶の海馬を消滅させる作用がある
ことも証明されている。

きっと会話もままならず、
奇妙な沈黙や意識障害、
記憶の消失などが、
死の前に、頻繁に現われていただろう。

 「そんなに苦しくて、
つらいのだったら、
どうしてそこから逃げようとしなかったの?」

または、
「誰かに相談をしなかったの?」と、
いじめに遭う子のことを言う人は、
未だに多い。

「何も死ぬことはないのに」と。

もちろん善意で言っているのだろうけれど、
上記のような精神状態に陥った子にとって、
その疑問(アドバイス?)は、
誤解でしかない。

精神的、肉体的な暴力に支配され、
コントロール下に置かれた人に取って、
動物的な反応以外に意志を持つことは難しい。

わずかな意思を残している子は、
残酷な無関心として、
その声を受信するだろう。
 
 いったい誰が、
勇気と希望に目を輝かせながら
自死を行うだろうか。

 苦しみに飲み込まれて、
理性も自制も麻痺した状態になっていて、
そしてただこの苦しみを終わらせる方法に
支配されていたら、
自死の作業をしていたのだ。

それはもっと前から、
想念の段階では、
はじまっていただろう。

死への自覚はあったかもしれないし、
なかったかもしれない。

しかし、本来、
自覚、というものが正しく機能していたならば、
死を選ぼうとしている自分を知ったなら、
悲しくて泣いていただろう。

くやしくて叫んでいただろう。

それならばまだ、
思いとどまれるかもしれない。

誰かに気づかれ、
救われるかもしれない。

しかし、自覚へ至る機能すら
麻痺してしまっていたとしたら、
自死は遂行されてしまう。

そんな流れのなかで、
誰にも言えず、
死んでしまった子は、
多いのではないかと思う。


 「自殺をすると未浄化霊になるからやめた方がいい」
と、いつだか、どこかの霊能者が言っていた。
そんなこと言わないでもらいたい。

「これは自死ではない、
いじめは犯罪だからやめた方がいい」
というのが、常識的だ。

 その車のなかで僕はこう言った。

「いじめられる子が絶望するのは、
《もうどこにも逃げられない》
と、思うからだ、と。


大人になると、
世界は広くて、
いろいろな生き方があって、
それを自分で探したり、
考えたりすることが出来るけれど、

子どもは、
学校という閉ざされた空間が、
世界のすべてだと思いこんでいる。

ここから外れる=普通でなくなり、
生きていけない、
と、そう思う。

ほんとうはとても狭い世界でしかないのに。
(親への依存から抜け出ようとする時期は、
  特にその色彩が強くなる)」


 ふたりは、そう聞いて、
「そうかもしれない」と納得していた。

たぶん、僕の実体験からの言葉だから、
説得力があったのだろう。


 子どもの世界観は、
大人が思っているよりも
ずっと狭い。


相対的に、
子どもの感性は、
大人よりもずっと過敏で多感であり、
小さな子がお化けの話をすると、
さもほんとうのことのように怖がるように、
いじめの恐怖は、増幅され、
より大きな悪意の塊となって重くのしかかる。


もうここから逃げられない。
この状態は一生続く。
僕はもう立ち直れない。
私はぞうきん


 いじめに遭っていること、
暴力を受けていることは恥ずかしい。

だから言えない。

みんなとは違う人間に
なってしまったことを、
誰にも言えない。

言ったら
それを認めることになるから。

親や兄弟にも言えない。

きっと驚き、
悲しむ。

自分を慕い、
愛してくれた人の
信頼を裏切れない。

気がつけば、
「ごめんね、ごめんね」
と心の中で謝っている。


 友だちがいなくなった・・・。
人間の安全と危険の選択を選ぶスピードは速い。

いつのまにか周りから、
友だちがいなくなってしまったのは
そのためだ。

「自分も同じ目に遭ってしまう」
友人はみなそう思ったのだ。

これは本能がそうさせているだけで、
たぶん悪意はない。

 もう立ち直れない・・・。



起こってしまった事実は変わらないけれど、
とらえ直しをすることは出来る。



痛かったけれど、
閉ざされた殻はひび割れ、
新しい価値と可能性が流れ込んで来たのだ。

やがて、
そのひび割れからは、
世界中の音が聞こえて来るようになる。


 苦しかったけれど、
閉ざされた土壌は耕された。

やがてその土壌には、
種が蒔かれ、
多様な花々と
その実りが得られるようになる。

生きとし生けるものは、
死と再生を繰り返している。

芽吹きの現象は、
必ずはじまる。

コンプレックスの引き起こすエネルギーを
正しく利用すれば、
さらにそれは劇的に展開する。

僕はそれを
NAYヨガスクールで体験した。


 結論はもう出ていて、
人の世の社会というものは、
多様で、
今、自分のいる場所は、
枝葉の先についた一枚の葉であり、
描かれる葉脈が
今いる街の地図のようなものだ。

世界はその一本の木どころか、
広大な森のなかにある。

だから、
改善の余地がなく、
ほんとうに過酷であれば、
逃げたほうがいい。

不誠実だとか、
恥ずかしいなんて思う必要はない。

安心安全な環境は、
こころを回復させていく。

力を取り戻してから、
今までの自分と
これからの自分の判断をすればいい。

少し休んで、
何万年も人類が営んで来た
自然に触れる生活に身を浸すのもいい。

狩猟採集民は、
自然のもたらす変化に従い、
行動の意思決定を行っていたのだ。

薪を割り、
火をおこす。
森へ入り、
川の水をすくう。
植物を育て、
または採取し、
食べ物の発酵する様子を見るのも楽しい。

田園を歩き、
鳥や獣たちを追おう。

狩猟採集者である古代の血は、
農耕民族よりも遥かに長い歳月を
自然とともに歩んでいたのだ。

そのリズムにシンクロしよう。

過度の農耕社会は
人から自由を奪う。

貯蔵の出来る穀物は、
人間に安定をもたらしたが、
同時に『資本論』(マルクス)の原型が生まれた。

支配と服従。
弱者は競争にさらされ、
利権の拡大と収奪もはじまる。

農耕社会に偏りすぎていたのなら、
狩猟採集民へ回帰して、
自分を取り戻そう。


 
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※追記;     内藤景代・記

〔外に閉じた、こころ(心)〕が、
〔内に、ひびわれることで、
 内から湧いてくるイメージ〕があります。

深い瞑想(冥想)をしているときにも、
湧いてくるイメージの群れです。

奥深い意識のなかには、
〔いざというとき用に力を発揮できるイメージ〕
が隠されています。

〔ピンチになると、あふれてくる緊急用の「キープ・パワー」
 を湧きあがらせる、
「激情をともなう、イメージの複合体」
 すなわち、コンプレックス〕です。

困難をのりこえる、英雄的な男性(アニムス) のイメージ。

助けを求めている、大切なひと、囚われの姫、
運命的な女性(アニマ=魂) のイメージ。

古く小さな自分が死に、新しい大きな自分が生まれる
死と復活、死と再生のイメージ。

‥‥などなどです。

それらのイメージ(元型イメージ)は、
象徴的(シンボリック)で、〔多層的・多重的な概念〕なので、
こころ(心)を、深い情動(喜怒哀楽)とともに、ゆさぶります。

今なら、ゲームやファンタジーとして、
こころ(心)を深いところでつかむイメージです。

〔むかしばなし や おとぎ話〕のイメージもそうです。

〔神々の物語、古代からの神話〕のイメージもそうです。

奥深い意識のなかに隠されている
〔いざというとき用に力を発揮できるイメージ〕。

それは〔物語のような
神話的で象徴(シンボル)的なイメージ〕で、
〔古代から蓄積された世界観〕として、
神話パターンのように残されています。

ユングは、個人の意識(こころ)を超えて、
深層意識にある〔元型イメージ〕となづけました。
〔元型イメージは、象徴的(シンボリック)で、「多層」的・多重的な概念〕です。

外の世界に〔居場所がない〕と感じたときは、
自分の内の深い世界に、
《豊かでパワフルな広大で崇高な宇宙》
が、ある、と気づくチャンス(機会)なのです。

そこで、たっぷりと充電し、
また、外の世界に立ち向かえばいいわけです。
生まれ変わった新しい自分として。

【われは むかしの われならず】


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