大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 53
                     小林和之
直線上に配置

コンプレックス 2



 高校生になった15才の頃から、
僕は、
人からいじめられるようになった。

現実のひ弱な自分と
理想である強くて明るい自分との
想像の区別がついていなくて、
思い上がっていたのが
いじめを誘引する原因になった。


 中学時代、文化部にいた僕は、
強くなることを夢見て、
高校入学と同時に、
武道を始めた。

それでもう、自分が強くなったかのように、
そしてついでに、
今までのおとなしい自分からも
生まれ変わったかのように振る舞っていた。

無理に人に話しかけたり、
わざと目立って見せたり、
いわゆる浮いたことをして、
クラスメイトたちからひんしゅくを買っていたのだ。

その姿を、
端から見ていた人たち、
特に運動部のグループたちは不愉快に思った。

いじめはこうした流れの中から生まれた。

 もちろん、暴力は、振るったほうが悪い。
なぜならどんな原因があるにせよ、
人を傷つけることであり、
暴力を解決の手段にすることは、
一部の例外を除き、法律上許されていないから。
 
 よく、いじめの論議で、
「いじめられる方にも原因がある」
というようなもっともらしい話を聞くが、
すべての言い分を聞いたとしても、

「いじめられて苦しんでいる人をさらに追いつめることになる」

ので、やめたほうがいい。

「あなたは何も悪くない」が正しい。


いじめられる子にある原因は、
適切な時に適切な方法で、
本人が気づくしかないのだ。

少なくとも「あなたは何も悪くない」
という前提の上に、
解決へ向けて、
ともに寄り添う姿勢とともに、
行われるものだと思う。

傍観者であるコメンテーターは語ってはいけないのだ。
  

 そのはじまりの日を
僕はよく憶えている。

隣のクラスのあるグループが、
授業の終わったあと、
みんなの前で、
僕の名を大声で呼び、
はじめはふざけていると思い、
近づいていった僕の胸ぐらをつかんだ。

「おまえ何イキガッテルんだ!!」
「バカじゃねえのか!」

と、脅しながら、
からだを揺さぶり、殴ったり蹴ったりして来たのだ。

それもしつこく、
何度も何度も繰り返された。

僕は、はじめてと言っていい暴力に、
驚き、
目を見開いて恐れるしかなかった。

どうやってクラスに戻ったかは憶えていない。

たぶん呆然としながら、
すごすごと逃げるようにクラスに帰ったのだろう。

教室のイスに座り、
このとき、
何かが壊れた。
無力。

僕の名前は「無力」になった。

無力な人形に。
 

 これは、はじまりであり、
ここから長い苦しみがはじまった。

廊下ですれ違うたびに胸を殴られ、
朝礼で並んでいれば、足を踏みにじられる。

いつも同じ人だった。

雨の日の格技場で体育があった。

このとき、僕は複数の人間から暴行を受けた。
いきなり倒され、
数名の男たちに首を腕で絞めつけられたり、
股間を蹴られたり、
顔を何度も踏みつけられ、
あやまって許してもらった。

立ち上がった僕は、
無関心な空気の中にひとりいた。

無力な人形は、
一度だけ周りを見たと思う。

僕が知ったのは
氷のような無の世界だった。

そして、壊れた部品のぶら下がった人形は、
誰も助けてはくれないことを知ったのだ。



 1年ほど前の僕の名は
「無力」ではなかった。

まだ何も知らなかった。

僕は少し変わっていたのか、
それとも思春期とはそもそもそうしたものなのか、
性器の変化とともに、夜眠る前に、僕は、布団の中で様々な想像をしていた。

それは大きなロケットバイクに乗って宇宙や様々な星を巡り、
旅する想像や、
特別な力を手に入れて、活躍するファンタジーだ。

僕は毎夜そうした想像をするのが好きだった。

そこに女性なるものが現われはじめた。

お決まりのパターンだが、
悪人たちに苦しめられている少女を助けて
結ばれるという想像はよくしていた。

もうひとつよく想像していたのは、
少女とふたり、木の中で眠るイメージ。
それは半透明のような大樹で、
僕らふたりには、特殊な力があるらしく木の中に入ることができる。

隠れることが出来るのだ。
そして、いつまでもふたりでいる。
ふたりでひとつに。
この想像は、もっとも多かった。

僕の胸は、高鳴り、
夜の暗い天井を見つめながら、
これから出会うだろう美しい恋人への期待に
胸の真中が火のように熱くなる。

親同士による決められた許嫁が
すでに葉陰の下のベンチに座り、
僕が訪れるのを待っているかのように、
僕には感じられた。
僕は喜びにふるえ、満たされていた。
 
大きな半透明な木のなかであれば、
そこには同じく半透明な恋人がいる。

けれど、この想像の先にある期待は、
もっと別のものを見つめていた。
僕がここで求めたのは、肉体を持つ少女の恋人であった。



 
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
*〜・〜・〜・〜*〜・〜・〜・〜*
※追記;     内藤景代・記


・・・やっと〔言葉〕にできた…体験。
〔いじめ〕
渦中(かちゅう)にいるときは、
〔言葉〕にならず…、
だから、ひとにも伝えられない・・
ひとりで耐え、よく、生きのびてきました……

ここで、〔こころが折れて〕、
〔いじめによる、自殺〕も
悲しいことですが、最近、ふえています。

男の子を育てている、お父さんでもある、和之さん。
〔男の世界の、通過儀礼(イニシエーション、 イニシエイション)〕
‥‥の面もある
〔いじめ、暴力〕
へのコメントは、貴重です。
↓↓↓↓
【いじめられる子にある原因は、
適切な時に適切な方法で、
本人が気づくしかないのだ。

少なくとも「あなたは何も悪くない」
という前提の上に、
解決へ向けて、
ともに寄り添う姿勢とともに、
行われるものだと思う。

傍観者であるコメンテーターは語ってはいけないのだ。】



この和之さんの〔体験記 53〕が、
今、必要としているひとのこころへ届くように、
こころから願っています。

【適切な時に適切な方法で、
本人が気づく】
そのときまで、
〔生きづらい時期〕をやりすごし
そのひとが、生きのびられるように、祈っています。


思いつめ、煮詰まらないで、
「ちがう世界も、ある」
ことに気づいていただきたいです。

〔こころの宇宙〕も、深く、広く、高いです。
精神世界のジャングルに迷わないために、『BIG ME』  大きな自分に出会う  こころの宇宙の座標軸
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〔人生の成長の節目、
であるイニシエーション(通過儀礼 イニシエイション)〕
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