大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 27
       小林和之
直線上に配置

小船の旅

僕は、人の言葉を聞いているようでいて、

ほんとうは何も聞いていないのではないかと思うことがある。

 

言葉の代わりに

     声を聞いている。

 

音(おと)のようなものを。

 

音は 不思議なもので、

    言葉で何を言っていても、

音は まったく別のことを伝えていたりするから。

 

ほんとうの 音と

   そうでない 音。

 

そうでない 音は

  何かを隠しているような音をしている。

 

届かない音、

 それは、自分ですら 自分のこころが見えないでいる

     迷子の音。

 

ほんとうの音は、なかなかみつけられない、

 

だから、触れることのできぬ人の音が

    いつもきこえる。

 

僕も たぶんそのひとりだ。

 

だから僕は、ほんとうの音を手に入れる人の

 物語を紡ぎたい、

    といつもこころに願っていたい。

 

ほんとうの音を持つ者は、

   英雄の姿をしてはいない。

         可憐な少女でもない。

 

多くの場合、それは、みにくいアヒルの子であり、

  魔女の魔法で カエルの姿に変えられている。

 

悲しみや、苦しみを知っている人でなければ、

 ほんとうの音を手に入れることは 困難だからだろう。

 

普遍的な物語は、いつも

  人の成長の 本質を伝えている。

 

 

ときどき僕は、NAYヨガスクールの教室で

 わけのわからない体験をすることがあった。

 

それが どのようなしくみと
     作用で起こるのかは わからないけれど、

 とにかく、ときどきそうなった。

 

NAYヨガスクールの木曜日・夜クラスで、

景代先生のお話を聞いているとき、よくそうなった。

 

うまく伝えられるかわからないが、

それは、桟橋につないでおいた

船の綱がほどけて流れていくように、

こころの動きを制御する何かが、

  半ば勝手に作動していくようなものだ。

 

しかし、眠り、夢を見ていたわけでもない。

 

気がつくと、

僕は、この世から消えたらしい。

 

息も出来ぬ悲しみが、背中から入り込み、からだがふるえる。

なぜだか、涙がこぼれてとまらない。

それは想像でしかない。

背中から入り込み、押し寄せた、ある風景のようなものだ。

 

その国で、僕は、死んでもういないのだ。

では、死んだことを意識している 僕は誰か? 

 

そうらしい。僕は、誰かに生まれ変わっているのだ。

知らぬ街で、知らぬ僕として。

 

(輪廻転生の思想とは無関係。

  景代先生は、そうした話をしたことはなく、

 逆に、そんなことを考えるより、

   現実に生きるノウハウを身に付けられるように、

    よく話されていました。)

 

そうして 僕は また自意識の目覚めとともに

苦い春を迎え、

また同じように、とんでもなく道に迷っている。

 

そしてまた、そうなのだ。

マヌケな顔をして生まれ変わったらしい僕は、

ある日、また同じように

景代先生の書いた言葉と出会うことになる。

 

そして思うのだ。

《この方の文は、以前に読んだことがある。

   この声はどこかで聞いたことがある》と。

 

ただそれだけを思い、知らぬ街角で、

アスファルトの道の上で、ひとり立っているのだ。

 

けれど、しかし、あたりまえのことだが、

 僕は、今、生きているのだ。

 

それだけの想像だった。

しかし、それは、からだが反応するほどの想像であったため、

僕にとっては、意味のある体験であった。

 

僕はこう思っている。

 

暑苦しくなったので、

 

こころが脱皮したのだと。

 

 

その象徴のように、

ひとしきり そんな想像によるカタルシスが通り過ぎた後、

景代先生が、レッスンの最後に、

みんなの前で笑って話しかけられた。

 

「あなたは、ずいぶんきれいになったわね!」

 

 僕は、自分のことを言われているとは、

  気づかず、辺りを見回した。

 

ただ、みんなの視線が、

「君のことだ」といっているので、

そうだと気づいた。

 

「和之さんは、はじめて会った頃は、

こんな風に話しかけることも出来なかった。

自分の周りにバリアをはって、

誰にも自分の《純粋》に触れさせなかった。

 

ちょんっとするだけで、

ひゃあああああってなってたでしょ?(笑)

 

・・・でも今は、ずいぶん開かれて、

             きれいになってる」

 

景代先生は そんなことをおっしゃられた。

 

その通りであった。

 

(純粋であるかどうかは 別にして)

 

あんまり突拍子もないことだったので、

驚いてしまったが、僕も楽しく受け応え、

生徒さんたちもそのやり取りを笑ってくださった。

 

教室の空間は、

猫の集会とたとえられるだけあって、

集った銘々が、銘々のこころのテーマを持ち、

景代先生のお話を聞きながら、

銘々に体験していく。

 

岸辺につないだはずの綱は解かれ、

いつのまにか流れに乗っていくのだ。

 

ほんの小さな 頼りなげな 小船に揺られながら。

 

けれど、流れに身をゆだねたら、

小船の上から、そろそろと顔を上げて、

辺りを見回してみよう。

 

きっと違う風景に出会えるだろう。

 

ただ、こころを開きさえすれば。

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 ※追記

こころを小船(こぶね)にたとえれば・・・いくつもの海を越え、

なんども生まれ変わっていく旅のよう。 

薄紙(うすがみ)をはぐように、少しずつ、
変身していった、和之さん。

…いつのまにか、
「寄らば斬るぞ」の波動が薄れ、
こんな軽口(かるくち)を、
話しかけられるようになっていました。

……いつのまにか、
暗いブラックホールから、
《光》を発していました。

それを、わたしは、
「きれいになった」
と言葉にくくったのでしょう。

もともと、ハンサムでしたけど((笑))

普遍的な「こころの成長物語」の
王道をいっている
変身譚(たん)の感じがして、
眩(まぶ)しかったです。。。。


花もまた、変身します。
『源氏物語』にもとりあげられた、
夕顔(ゆうがお)の花。
内藤景代(Naito Akiyo)の写真とエッセイで、
どうぞ。2013年8月1日 こちらへ


「夕顔の変身譚、花の一代記」です。


*「普遍的な、こころの成長物語(ビルドゥンクス・ロマン)
      についてのお話は、こちらへ



          内藤景代・記

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