大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 24       小林和之
直線上に配置

春の鬼   

人ではない何かが、
 こころの奥に
 棲んでいる。

 

春の日。
 青白い般若の顔をした鬼が歩くのを見る。

 

見覚えのある服を着た鬼。
 あれは正気ではない。薬物でもやっているのだろうか? 
 ぶつぶつと何かを言い、奇声を上げている。

 

春、人の吐いたうその申し子たちが歩く。
 隠したはずの
 鬼のこころがさまよい歩く。

 

鬼は泣いている。

 

鬼は笑っている。

 

白痴のように。

 

憐れな鬼よ。おまえはまだ家に帰れない。

 

春の風が吹く花祭りの日。
 今年もまた、鬼の姿をした春の怨霊たちが、
 あたたかい風にのって運び込まれる。

 

気の狂った笑い声とともに。

 

それとともに、どこからか、
「帰ろう」という声を聞く。

 

「いっしょに帰ろう
  (もう何もかも終わりにして・・・)」と。

 

僕は驚きに包まれながら、
 もうずっと昔から知っているような気のする
 声の主に応える。

 

「そうしよう、あたりまえだろう」と。

 

歓声にふりかえれば、
 大道芸人の周りに人々が集う。

 

いったい、僕は、
 誰と話すというのだろう? 

 

そしてまた、
 ・・・誰と話していたというのだろう?  

 

子どもたちの笛の音が聞こえる。

 

何も思い出せない

 

まるで生まれる前の記憶をたどるように、
 何もかもがおぼつかない。

 

ただ何か、満たされぬ懐かしみの想いだけが、
 道端に落ちる桜の花びらのように
 僕のこころに吹き溜まる。

 

つい今しがたまで一緒にいたのだ。
        誰かとふたり葉桜に隠れて。

 

花びらの舞う桜の季節に、
      僕はいくつかの夢を見る。

 

繰り返される子どもたちの
  成長と別れ。

 

鼓笛隊の少年と少女。

 

風に舞う春の怨霊たち。

 

息をひとつ吸い
 「もう少し、待っててくれ」と、
     見覚えのある服を着た春の鬼に伝える。

 

「もうすぐ迎えに行くから」と。

 

 こう言いながら、僕は迷うだろう、
   立ち止まるだろう、
  鬼の涙を流すだろう。

 

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※追記


『春と修羅』という宮沢賢治の詩もありましたね。

修羅は、鬼。

「俺は、ひとりの修羅なのだ」

 と書く、賢治。

阿修羅(あしゅら) は、闘い続ける、鬼。

枯れていたような古木にも花が咲き、新芽が芽吹く、春。

 

春は、もの狂おしく、
  こころの鬼が、「いる」のを感じる季節でもあります。

 「阿修羅(あしゅら)」が、こころの中にいるという感覚や、
 『春と修羅』と宮沢賢治のお話は、

 『BIG ME 〜こころの宇宙の座標軸〜』

 にも、かきました。

                    内藤景代・記


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↓↓↓↓
『BIG ME 〜こころの宇宙の座標軸〜』

普遍的(ユニバーサル)な問題にふれる  →91ページ 

自分だけだ
と恥ずかしがり
心に隠しているコンプレックスは、
宇宙的な意味をもった、
あらゆる人の心にひそむ普遍的な問題なのだ。

私たちが孤独なのは、
この深く広い世界にまでおりようとしない場合だ。

みんな同じように苦しみ、
悩んできたのだ。


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