大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 23       小林和之
直線上に配置

   

家の近くには、
開花の季節になると多くの人が訪れ、
出店も競う菖蒲の咲く池があった。

色とりどりの菖蒲の花は、街の人々に愛されており、
カメラを片手に遠方から訪れる人々も多くいた。

八国山の雑木から染み出るように
池は湿地帯を作っている。
菖蒲池と雑木の間には線路が渡り、
ときどき西武線の黄色い車両が音を立てて通り過ぎる。

春。

今は まだ菖蒲の花は咲かず、
人は誰も訪れない。

隣の小学校の裏門にあたる場所から
踏切を渡ると開けた丘があり、
僕はそこに立っていた。

春のせいか
風景たちが薄緑色にむせて見える。

僕は、子どもの頃から
家々の果てを望む小高い場所が好きで、
だから、ここへ来るたびに、
地平線の向こうの
空の下に住む人々のことを思う。

遠く街並みの消え入る空の下に、
まだ見ぬ街のあることを思う。

ただそれだけで胸が高鳴る。

「希望」というのは、
こころにあるだけで
その人を助けてくれる。

 

けれど、この春は違った。

高校卒業後、
進学もせず、
さりとて就職するわけでもなく、
それどころか僕は、
ときどき息が苦しくなり、
うまく呼吸すら出来ない。

人前に出ることも難しく、
この丘に来て、遠い街並みを見ても、
もう気味の悪いものにしか思えなくなっていた。

 

僕は去ることを思った。

その計画は粛々と進められていた。

僕は、
誰も人の近寄らない廃屋に身を潜め、

何もかも捨てよう。

僕は
僕のこころを取り戻すのだ。

……けれど、それは現実なのだろうか? 

ほんとうに僕はそんなことをするのだろうか? 

僕にはわからなかった。

こころの奥から不安が込み上げる。

いったい僕が思うことと
現実との間に
どれくらいの距離があるのか? 

逃げ場がない以上、

試してみる以外に方法はなかった。 


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※追記

「青い春」は、にがい季節。

・・・青春。

「もの思う春」は、混沌の時期。

・・・思春期。

すでに「くくられた、言葉」があり、

だれもが通る「こころの季節」、

といわれると、

「特別の、僕」には、

《くやしい》思いがするでしょうが・・・。


そういう感覚を、
『BIG ME 〜こころの宇宙の座標軸〜』
にも、かきました。

                    内藤景代・記


↓↓↓↓
『BIG ME 〜こころの宇宙の座標軸〜』

普遍的(ユニバーサル)な問題にふれる  →91ページ 

自分だけだ
と恥ずかしがり
心に隠しているコンプレックスは、
宇宙的な意味をもった、
あらゆる人の心にひそむ普遍的な問題なのだ。

私たちが孤独なのは、
この深く広い世界にまでおりようとしない場合だ。

みんな同じように苦しみ、
悩んできたのだ。



意識化のドラマの主人公  →58ペ−ジ 

個人の失敗と成功は、
言葉やイメージなどでお互いに学び合う。

その積み重ねが
人類の意識を成長させてきた。

現在も進行形の「人類の意識化のドラマ」、

その主人公は生命をもった一人、一人。

あなたも自分を大切にしてほしい。


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