大きな海の中で、枠に入ったままの青い魚
NAYヨガスクール体験記 22       小林和之
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廃屋 (はいおく)    


《廃屋に住みたい》

 

どこにいて、誰と、何をしていても、

ふとしたときに、こころがそうつぶやく。

 

《誰もいない家にいたい》

 

表向きの僕とは異なる、

こころのなかにいるもうひとりの僕が、そう言う。

 

それは、高校の卒業をひかえた17歳の頃だった。

 

友人がいないわけではなかった。

仲間と呼べるものも。

けれど誰も僕のことを知らない。

僕がここにいて、ひとりで廃屋に住もうと思っていることを。

 

訪れる人のいない家。

人の気配もない、忘れ去られ、置き忘れられた窓に、

つる草の覆う家に、僕は一人で暮らそう。

そうすれば僕は、僕を取り戻せる。

 

どこか遠くへ行きたい。

そうも思った。僕のことを知っている人の誰もいない場所へ。

そうすれば僕は、もう一度はじめからやり直せる。

 

廃屋に住もう、と思う人を、

僕は、正常に思わない。奇妙に思う。

どこかおかしいと思う。

こころが病んでいるとも。

けれど当時の僕は、それを「おかしい」とは思わなかった。

それは、僕のこころの自然な望みであり、

自分を守りうる唯一の選択肢といえるものだった。

 

僕のこころに嫌なことをする声から、

悪い目から、僕は、僕を遠ざけよう。

どこか遠くへ行けば、誰も訪れることのない廃屋に住めば、

誰も僕のこころに触れることは出来ない。

僕は、そんな遠い場所にある廃屋に身を潜め、

ただひとり、こころの声に耳を澄まそう。

 

そして僕は、漠然と、当時興味を持った

ユングの無意識の勉強をひとりでしようと思った。

 

奇妙なのはここから先で、

僕は、ほんとうにそれを実行に移したのだ。

 

《……自我のカラというのも、

船ダコの貝のようなもので、悪いものではなく、

ある時期には必要なものだ。

人格が未熟で弱いときは、

自分という個人(ME)を、

大洋のような社会(BIG)に呑みこまれないように

するために、必要な塀のようなものだ。

 

しかし、自分のまわりをすべて塀で囲い、

出口も入口もつくらなかったら、

敵から身は守れても、

内部で渦巻き、窒息する。

 

自家中毒をおこしてしまう。

 

自閉的といわれても、

かいこがマユをつむぐように、

一定期間、自分を育てたら、

自分からソロソロと、カラのなかからはい出してくればよい。》

      「BIG ME〜こころの宇宙の座標軸〜」内藤景代・著 より

 

後のこととなるが、僕は、この一節を読み、

なぜか、こころが、ほっとしたのをおぼえている。

 

うそのベールは、はぎ取られ、呆然としている僕に、

わかりやすく、

こころのしくみというものを、

語りかけてくれているように感じたのだ。

  

……かいこがマユをつむぐように、

一定期間、自分を育てたら、

自分からソロソロと、カラのなかからはい出してくればよい。と。

 

永遠の少年 特有の

壮大な妄想という

自分にまとった鎧に、実体などあるはずはなく、

吹けば飛び、

残された僕にほんとうに必要なのは、

ライナス少年にたとえて語るこの言葉であった。

 

景代先生から、僕はこの言葉を

ひとつ上の次元から与えられた。

 

くやしい思いはどこへやら。

ほっと安心してしまった

等身大の自分とともに。

 

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※追記

 「永遠の少年」については

☆「BIG ME〜こころの宇宙の座標軸〜」内藤景代・著 こちらへ

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